箕面・千里川沿い/子どもたちなど桜30本を植樹 ~“萱野三平ゆかりの桜の回廊”へ

 

 このほど子どもなどボランティアが、箕面市萱野5丁目の市立病院の北を流れる千里川沿いで、桜30本(ソメイヨシノ20本+ヤマザクラ10本)を植樹・・。

 26組の保護者と子ども、学生を含むスタッフなど、総勢80人が参加。

 

 市民がつくる「里山散策路を作ろう会」(代表:南里(なんり)さん)が呼びかけ、3/11に開催。

みんなで桜を植える・・
みんなで桜を植える・・
手前は千里川・・。
手前は千里川・・。

 

 苗木は大阪府が提供し、ボランティアが植樹。

 府会議員や府職員も激励・取材に・・。

オープンセレモニー/親子連れなどの参加者とスタッフたち
オープンセレモニー/親子連れなどの参加者とスタッフたち

 

 会場は川沿いに約500mと細長く・・、テクテク歩く大人に対し、子どもたちはゲンキ・ゲンキ~走って走って集合や移動・・。

 “子どもが主人公”の催し・・。

 

 植えた子どもの名札を苗木につけるファミリーも・・・。

幼児とパパで杭を打つ・・。ちびっ子も多く、事前準備として重機で穴掘りがされました。
幼児とパパで杭を打つ・・。ちびっ子も多く、事前準備として重機で穴掘りがされました。
子どもたちが記念写真
子どもたちが記念写真

 

 実は、この催しのもう一人の陰(かげ)なる主人公は萱野三平さん。

 

 ここから見える近くの村(芝集落)には、萱野三平旧邸(長屋門が府指定文化財)が・・。

 また、植樹場所の南に接する村の墓地には、萱野三平さんのお墓も・・。

 ここ千里川沿いは、萱野三平さんを含む地元の村の先祖が眠る“聖なる場所”・・。

 

 植樹は人里からやや離れて行われましたが、こうした“聖なる場所”などにふさわしい“萱野三平ゆかりの桜の回廊”づくりがねらいです。

著名な書家が書き、文化の薫りただよう萱野三平さんのお墓。制作は江戸時代。今でもふるさとを見守ります。
著名な書家が書き、文化の薫りただよう萱野三平さんのお墓。制作は江戸時代。今でもふるさとを見守ります。

 

 さて植樹から少し経った4月初めには、千里川沿いでは約10年前又はそれ以前から植えられていた成木の桜が満開に・・。

 今回の幼木もチラホラと・・。

苗木の開花(ソメイヨシノ)。
苗木の開花(ソメイヨシノ)。
千里川沿いの桜・満開。         共に4/1撮影
千里川沿いの桜・満開。         共に4/1撮影

 

 ここで以前に植えられた桜は、いずれも流れに近い川岸側・・。

 ところが今回は府池田土木事務所(河川管理者)が流れ近くの植樹に同意せず、やむを得ず川から離して南側の公園の崖(のり面)下の市有地に市の了解を得て植栽。

 

 やや残念・・、でも、やがては道の両側に花開く“桜のトンネル”に・・と期待されています。

川から離れて植えられた今回の苗木(左の崖下)。でもやがては“桜のトンネル”になるでしょう・・。
川から離れて植えられた今回の苗木(左の崖下)。でもやがては“桜のトンネル”になるでしょう・・。

 

【ミニ伝記:萱野三平】・・“48番目の義士”

 箕面・萱野出身の赤穂藩士・俳人(俳号:涓泉(けんせん))。

 主君の事件を江戸から赤穂へ早かごで知らせた。通常は半月かかる行程を4日で走破。 赤穂城開城後、密かに仇討ち(あだうち)の企てに加わるが父や兄から新しい藩への出仕を強く勧められ、また赤穂浪士とのつきあいをとがめられ、主君への忠義と親孝行との板挟みに・・、ついに自宅(現存の長屋門)で切腹に至る。47義士の仇討ち成功後、世間から“48番目の義士”とたたえられる。

 

【説明:千里川沿いから見る“ふるさとの風景”

 ここ千里川沿いから見える「千里川と桜並木」~「田園」~「農村集落」~「山なみ」が織りなす風景は好評で、箕面の代表的なふるさと景観。

 地元・芝の農家が今までここの農地を宅地化せず(市街化調整区域に設定)、この風景が維持されています。今度、すぐ近くに鉄道新駅ができますが、今のところ、その姿勢は変わっていないよう・・。

 間もなく5月頃には芝の村に鯉のぼりが多く立つので、一層、すばらしいふるさと景観に・・。

 

                                                       (NPO花とみどり 事務局)